2021年10月29日 金曜日
今週の10/24のともにチヤペルの礼拝では、マタイの福音書9:27-31を分かちあいました。
二人の目の見えない人が、イエスさまに「あわれんでください」と叫びながらついて来て、
何と、イエスさまが家に入らても、その家に入って来ます。
どこまでも執拗に「あわれみ」を求める姿に心打たれました。
以前に牧会していた教会の壮年会の方々の集いで、数人の企業戦士の方々が
「あわれみという言葉は好きでないです」と言われていたことを思い出しました。
ご自身くの力で、この社会の荒波をくぐり抜けて生きておられる方々の最もな意見だと思います。
それだけに、自分自身は主の憐れみだけで、今まで生かされてきて、今も生かされ、これからも
生かされていく。
そして、必死になってイエスさまに「あわれんでください」とすがりつくことができるだろうか・・・
こんな大病を患いながらも、そこまで「あわれみ」を求めずにいる自分を、
今一度振り返ることができた時でした。